登録有形文化財

登録有形文化財

雛蔵の由来

祐月本店の雛蔵は、その天井の棟木に「維時大正五年拾月貮日 和田祐之介 立之矣」と書かれていることから、大正五年(1916年)に初代和田祐之介により建てられたことが明らかである。

棟木が何重にも入り組んだ堅牢な作りで、今から103年前の大正初期の建築であり、大きな商家の店舗や蔵が立ち並んでいた往時の姿を偲ぶことができる建物である。

金工資料館

水戸の金工は江戸時代中期以降、特に幕末期に刀剣の外装金具彫金などで隆盛をみた。

刀装具が中心で、鍔・縁頭・目貫・小柄・笄などに優れた作品が残されている。

本格的な製作が始められたのは、水戸藩二代藩主・徳川光圀が殖産策のひとつとして奨励したためといわれる。

特に有名になったのは江戸時代後期から幕末にかけての時期であり、ことに水戸藩九代藩主・斉昭が奨励したことによって隆盛を極め、数多くの名工が輩出した。

水戸の金工は緻密で写実的で、工芸品的価値の高い物が数多くあり、見る者の心を引き付けて放しません。しかし、その作品が現在見る機会がないことが残念に思っておりました。

祐月本店では、二代目和田祐之介が収集した刀鍔を公開し、水戸藩の産業を広く伝えてゆきたいと願い和田祐之介資料館を開館いたしました。

延年楼の由来

延年楼は、床の間の床板に「天保六年未六月末日」と書かれていることから、今から184年前の天保六年(1835年)に建てられたころが明らかである。

もとは石州流の茶を学んだ大高家六代織衛門守善が天保六年に自宅内に設けた茶室である。

「延年」は菊の異名で、大高家三代織衛門明郷が菊の栽培に熱心で、邸内に有名な菊園があったことに由来する。

「延年楼」の命名者は、宍戸藩七代藩主松平頼筠であり、現存する水戸市内の茶室の中では最も古いものである。