茨城県にある祐月本店では、職人が手作りで伝統の親王飾り・三段飾り・五・七段飾りのひな人形を造り続けております


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ひな祭りの由来

意外と知らないひな祭りの由来を簡単にご説明致します。

古来より日本では、災いや悪いことが起きるのは穢れが原因とされ、それを祓い清めることによって災いから逃れられるとされてきました。人の穢れをヒトガタに移し川や海に流して穢れを祓った呪術的な儀式と宮中の人形遊びがあわさって出来た行事が「ひな祭り」です。
江戸時代にはいってひな祭りは、呪術的な儀式から幸せな結婚を願う、親子愛や家族愛の精神へと移行していきました。
ひな祭りの行事は貴族の行事でしたが、平安末期から鎌倉時代にかけて武士が台頭してくると、しだいに貴族の力が衰えていきました。
  徳川家は二代将軍秀忠の五女、和子を御水尾天皇の正室に送り、天皇家の縁戚になり、天皇の父になるよう画策しました。(天皇家になろうとする)
御水尾天皇と和子の間に男子が生まれましたが2人とも幼少で謎の死を遂げてしまいます。
1629年御水尾天皇は突然、興子内親王(当時7歳)に天皇の位を譲位しました。
そこには、「女帝は即位したら結構出来ない」という不文律があり、徳川の血を天皇家から排除する狙いがあったといわれています。
それを不憫に思った母の和子が、押し絵の掛軸を送ります。それは在原業平と小野小町をモデルにした座り雛の掛軸でした。せめて押し絵の中だけでも幸せな結婚を願う母心だったのです。
ちょうどその頃、二条城で盛大なひな祭りが行われたという記録があります。
これが日本で始めてのひなまつりの開催で、現在の結婚式を表した七段飾りの形になっていきました。